古川真人『背高泡立草』感想

『背高泡立草』は第162回芥川龍之介賞受賞作である。つまり1番新しい芥川賞受賞作ということになる。

芥川賞の作品は難しいものが多い印象があると思うが、これも全く例に漏れず読みにくい。読み出してすぐは特に特徴的な文体に苦労した。

 

この作品の特徴は、なんといってもとある島の現在と過去が交互に描かれていくところにある。芥川賞の選評を読んでもこの点が評価されているように思う。

とある島を舞台に、今は使われていない納屋の草刈りをする一家の一日とその島の過去の出来事が交互に書かれている。過去の章は特に前置きもなく、時代も江戸や戦後、80~90年代頃などバラバラである。

 

正直に言うと私は選評を読んでから、本文を読んでしまったので自分の素直な感想が分からないのだが、読み終わった時は不思議と穏やかな気持ちであった。それぞれが自立し、自分の生活を持っている一家が、誰も使っていない納屋の草刈りをする時には集まり、共に過ごす。傍から見たらやってもやらなくてもいいような草刈りによって繋がっている人間関係がそこにはある。そしてその島で過去に起こった、これから忘れ去られてしまうのだろう歴史が交互に語られることで、作品の時間と空間が広がっていく。これからの未来も予感させるような場面もあり、なんとなくこういうの嫌いじゃないなと思った。

 

またこの作品の特徴として、方言が多く使われている点があるが、私はこれにどうしようもない羨望を感じる。 人々の歴史があり、方言がある。そんな島に故郷があることが、届かない憧れと分かっていても羨ましい。作者の文体によるものか、現代の田舎の人の様子、会話に真に迫ったものがあり、作者の筆力に感心させられた。

 


ストレートに感動できる小説はもちろん良いが、分かりにくい作品を読むのも違った楽しみがあった。