凪良ゆう『流浪の月』感想

読みたい読みたいと思い続けて、先日やっと読んだ凪良ゆうの『流浪の月』。

これは多くの人に読まれて欲しいと思う。そんな作品だった。

 

あらすじを端的に説明するのは難しい。読んでもらった方が絶対に早い。実際公式のあらすじも読む前はなんの事やらと言った感じだろう。しかしそれは仕方がないことなのだ。主人公の更紗と文、この2人を端的な言葉でカテゴライズする事はこの作品では絶対にやってはいけない。

 

この作品は「新しい人間関係への旅立ち」と謳われているように、とにかく新しい人間関係を描いている。更紗と文の間には恋愛も友愛も当てはまらない感情がある。2人は互いの存在に救われ、2人は2人でいることで初めて自由であることができる。関係を描くというところはさすがBL作家だなと思ってしまう。あまりこういう先入観を持って読むのもよくないと思うのだが、ついついフィルターを持ち出してしまう。

これは少しネタバレなのだが、2人の間には性的な関係が一切ない。これはBLと真逆だ。商業で性描写のないBL作品は少ない。あえて避けたのだろうか。以前『美しい彼』を読んだ際、BLの型みたいなものにはまっている作品だと書いたのだが、そこから外れようとしているのかもしれない。

名前のつけられない関係、オタクはみんな好きだと思うが、今まで私が見てきた名前のない関係は大体友情とも言えるが、友情を超えていて、しかし恋愛ではない、というようなものだったと思う。それか恋愛に近いけど一緒には居られないとか。だがこの作品ではこの2人の感情はどの愛の延長でもない。これは結構すごいと思う。

 

この作品で、新しい人間関係の次に大きく描かれているのが「理解」である。

この関係に名前はなく、それ故に理解されない。理解されないということは嫌悪や憎しみからくるものではなく、善意からくるものなのだと更紗は語っている。自己のための優しさ、助けてあげようという優しさ、助けたいという優しさ。読んでいてこの人はいい人だと思った人も更紗を理解する人間にはなれないと気づいた時はなかなかにショックだった。他人のことを理解するなんてことはできないんだと突き放された感じがある。更紗と文の2人は、理解を諦めているところがあってそれが仕方ないけど、悔しい。

 

とまあ長々と書いてきた訳だが、私は正直この小説で心を揺さぶられたりはしなかった。新しさはあるが鮮烈な感じは無かった。客観的に見ると私が好きな感じだと思うのに、主観だとそうでもなかったのだ。

これは何故か考えてみたが、一番の理由は「新しい人間関係」という点を前に押し出しすぎているからかと思う。「名前のない関係」という名前の関係になっているような感覚かもしれない。

それに、デジタルタトゥーのような社会問題に絡めた題材だったこともある。別に社会問題を取り扱うのが嫌いという訳ではなくて、現代らしいものが小説の中にあると、説教臭く感じてしまうのだ。私だけだろうか。

 


最高!とまでは行かなかったが、色々考えられるいい作品だと思う。多くの人に読んで想像力を働かせてみて欲しい。

 


(余談。King Gnuに「Don't stop the clocks」という曲があるのだが、この作品にピッタリの曲だと思う。)